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LOLIPOP
自分自身

精神疾患の親をもつ私が救われた本

2013年から、大変な時期を過ごしていた
仕事終わりに母の家に行き、母の夕飯準備、翌日の朝食と昼食の準備をし冷蔵庫に入れる
母のよくわからない話を聞く。抑うつ状態で寝込んでいるときは鬱々とした母の話を聞く
それから自宅に帰り自分のごはん。翌朝仕事へ行き、仕事が終わればまた母の家に行く。
夕飯準備、朝食と昼食準備、料理が苦手すぎて母から文句を言われ物を投げられる日々。掃除洗濯
そんな毎日の繰り返しだった。休みも母の家に朝から晩まで。母の話に付き合っていた
子供の頃から慣れっこではあったが、私の心のバランスも不安定になっていた。お酒に頼るようになっていた。誰にも話せなかったし、話したってどーせわからないだろうと思っていた。
現に、近くの大人に話をしたことがあったが「親を捨てていいんだよ」と言われ怒りがわいた
「親を捨てていい」というけど「じゃあ誰が親の面倒を見てくれるのか、簡単に言うな」と思った
もともと人を信じることができない人間に育っていた。大人なんか嘘つきだと思っていた

そんなとき、図書館で一冊の本に出逢った
中村ユキさん わが家の母はビョーキです

わが家の母はビョーキです [ 中村ユキ ]

自分と同じような人がいた、と感じた
読み進めながら「わかるわかる」の連続
あ、自分のような人が他にもいたのか、となんか安心した。
それから、我が家の母はビョーキです2 も読んだ

わが家の母はビョーキです(2(家族の絆編)) [ 中村ユキ ]

精神疾患の親がいても、それを認めてくれるというか受け入れてくれるご主人と出会うことも可能なのか、と希望が湧いた。衝撃の一冊となった

自分の親のことを恥ずかしいとかは思ったことはないと思うけれども、どこかやっぱり面倒に感じていた。でも、うちの親も病気で、親が悪いということではなく病気の責任。病気だから仕方がない
じゃあその病気をどう理解するか、どう付き合っていくか、そんな風に思うようになっていった

図書館で精神疾患に関する本を何冊も読んだ。
それから、精神疾患を持つ親もとで育つとどうなるのか、自身の理解にも努めようと考えた
愛着障害などについても調べた。精神疾患を持つ親の子供、ということもあるけれども、私はまず愛情を十分に与えられずに育っていることに気が付いた。愛情を注がれず育つとどうなるのかについても調べようと考えた。わけあって児童養護施設で育った子供たちについて書かれた本もいくつも読んだ。
里子に出された子供についても読んだ。キーワードとしては「愛着障害」「試しの行動」
なるほどな、と腑に落ちる点がいくつもあった
そして自分と同じような子供たちが世の中にはたくさんいるのだと知った。
けれども落胆することはないともわかった。出会いを大切にしていけば、いつかは自分も”まとも”になれる。私も他にはみせなかったが精神が不安定だと自分で気が付いていた。すべてをお酒で紛らわしていた。<このままじゃいけない>そう思った

中村ユキさんの本は本当に衝撃だった
同じような環境で育った方も、そうでない方も、支援者の方も是非 目を通していただきたい本でもある
この本と関連して、精神科医 夏苅郁子さん の本にものちに出会うこととなった
また、衝撃を受けた。自分と同じような人が”ここにもいた”
どこか、自分は一人じゃないと感じた。一人で母と母の病気と闘っているけれども一人ではないと感じた。心強かった。
中村ユキさん、夏苅郁子さんの本に出逢ったから前向きになろうと思うことができるようになっていった。

人は、人を浴びて人になる 心の病にかかった精神科医の、人生をつないでくれた12の出会い [ 夏苅郁子 ]

ほかにも紹介したい本はたくさんあるのだけれども、まずはこのお二人の著書をお勧めしたい

夏苅郁子さんは、以前ハートネットTV(Eテレ)にも出ていた。
精神疾患の親を持つ子供をテーマとして扱っていた
その番組の中で「仲間へ」と呼び掛けていたのが印象に残っている
「冷凍保存された記憶」「人に頼る甘えるが苦手」確かにそうだなと感じた

最近、ブログをはじめてみて思う
語彙力なさすぎな部分もあるが、記憶がそのまんま、あの時のまんまの感覚で残っていることもあるけれども、封印されている部分もあると感じている。
思い出せない。10歳の時の母からの尋常じゃない暴力や14歳の時に母が入院したあの日の記憶は鮮明に残っているが、その後どうしたのかは覚えてない。なので文章の最後のほうはかなりアヤフヤになっている。最終的に、何がどうなってこうなったんだろう。とにかく必死でもがいていた。
身内はいるが、母を助けてくれる人はいなかった。親戚は「あんな奴放っておけ。お前も構いすぎるな」と言っていた。関わりたくないという感じ。理解されてない親。
なぜ自分は捨てなかったのだろうか。自己防衛もあったのだと思う。
14歳の時、母が入院したあの時、「お前のせいで親が入院した。お前が近くにいながら何やってんだ!」と兄に小突かれた。あれがトラウマになっている
自分が親を支えなけらば、いつの間にかそういう気持ちになったのか、自分がちゃんとしなきゃ親がおかしくなると思ったのか。自己防衛から親を支えていたのだろうか
親に認められたかったというのもあったのかもしれない。
虐待サバイバー、ヤングケアラー。家事を頑張ってもほめてはくれない。むしろ失敗をつつかれる
親を支え、親に認めてもらいたかった だけなのかもしれない
親のため、ではなく、自分のために親を支えていたのかもしれない
「自分の人生生きるってなんだ?」と思っていたあの頃

けれども、
あの頃があったから、いまがあるのだと思う
あの頃の自分が諦めていたら、親を捨てていたら、誰かに助けを本気で求めていたら、
また違った人生だったのだろうなあ
けれどもそうすると、夫には出会えないわけで。
だから、この生き方で良しと思っている。

お母さんのおかげで、愛を知らないまま育ち
夫のおかげて、愛を知ることができた
そうすると、お母さんも、実は不器用ながら愛を与えようとしていたんじゃないかと気が付いた
何かにつけ、娘を心配する母
やり方は間違っているけど、むしろ子供殺そうとしちゃってるけどそれは病気のせいで、
本来の母は、本当は 子供想いなんだろうと思う
まあ、後付けだけどね(^_^;)

暴力もたくさん受けたけど、なんだかんだ言って、親を嫌いになることは私にはできなかった
自己防衛と承認欲求もあったのだろうけれども、
親の過去(子供時代の話)も聞かされているから、仕方ないか と思ったり
かといって、私にしたことは許されることではないんだけど、矛盾と葛藤
それでも、やっぱり 私にとっては「たった一人の親」だから
あの人を見切るってことはできないんだなあ

これからも、面倒な親 なんだろうけど、
もう70歳。地元も離れてしまってるから、あと何回親と会えるか。
残りの時間は親を大切にしていきたいね
おかげさまで、夫がとても母を大切に想ってくれているのが本当に救い
夫さん、ありがとう!

まあ、あの頃の自分にもし会いに行けたとして、
今の現状を伝えたら、おそらく「嘘つくな!なわけない!」とキレるだろうなあ
大人も信じれないし、何人かと付き合ったことはあるけど、長続きしなかった
また、テーマとして書いていきたいけど、「愛着障害」「試しの行動」が酷かった
夫は付き合う前から、いつも誠実に向き合ってくれた。親のことを話しても、特に顔色も変えず話を聞いてくれた。こんな人が世の中にいるのかと驚いた。付き合ってからも、結婚してからも、夫をかなり振り回したけど、いつも変わらない態度で接してくれた。こういう人が本当に世の中にいるのだ
結婚前は親から「あばたにえくぼ」ではないかと言われていたが、「あばたにえくぼ」でもいいと思っていた。けれども、結婚してみたら、この人本当に凄い!と感じてて、まだ1年だけど、本当にずっと一緒にと思う。
そういう人に、キミも出会うことになるよ、とあの頃の自分に伝えてあげたいけど、彼女は絶対に信じないだろうな。
それでいい、申し訳ないが、あの頃の自分には必死に闘っていただければと思う。じゃないと、いまないからね
堂々巡り


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