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自分自身

【自分軸って難しい?】ネガティブから感謝へ 自分の人生を取り戻す

私の幼少期から中学高卒業までの家庭環境は良いものではなかった
いつも親の顔色を窺い 兄の顔色を窺い 自宅にいても一人静かに過ごしていた
学校でも勉強についていけず、友人も多くなく、クラスの中で浮いた存在でもあったように思う

高校生に入ってからは一変
学級委員長を3年務め、成績もトップへとなっていった

しかし社会に出るとたちまち落ちこぼれ
また誰かの顔色をうかがうようになっていた

そんな私も社会生活20年を迎え紆余曲折ありながらも自分の人生というものを取り戻せるようになっている

自分の人生とはなんなのか
自分軸で生きるのは難しいのか
自分自身を振り返りながら綴っていきたい

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「自分の人生を生きていいよ」と言われた日

2019年精神疾患の母の支援体制が整い、訪問介護・訪問看護が導入された
それまではずっと私が母を看なければと母のために懸命に動いていた
母宅の食事の準備・掃除洗濯・買い物・通院同行、母が体調不良で動けないときは代理受診をし母の状況を説明し薬を代わりに処方してもらっていた
母が地域の方にご迷惑をかけた際は代わりに謝り、親戚から聞かれたときには代わりに説明し母が連絡をとらないことを代わりに謝り、母の話を傾聴し、母に尽くしてきた

2019年支援体制を整えた理由としては、自分自身に万が一のことがあったとき母が困ってしまうからだった
実は<いつか結婚するかもしれない、地元を離れるかもしれない、そんなことも数年前から考えていた>がその考えは封印していた

しかし実際には支援体制を整えた時に「自分の人生を生きてもいいんだよ」と訪問看護から言われた言葉に戸惑う私がいた
「自分の人生を生きるとはなんだ?」

支援体制が整っていくうちに、自分のしてきたこと(母の介護)を他の人が担うようになり、私の出番は減っていった
そうしていくうちに、喪失感も覚え始めた
自分に万が一のことがあったら困るからと母の支援体制を整えてきたが、いざ整ってみるとポッカリ空いた穴
何故かわからないが、自分の仕事を取られてしまったような感覚にも陥った
今まで自分がしてきたことは何だったのか
矛盾した気持ちがそこにあった

「自分の人生を生きる」を考え始めた

「自分の人生を生きてもいいよ」そう言われてもそんなに簡単にどうしていいかわからずにいた
母の支援は徐々に第三者(訪問介護・訪問看護)が担うようになり、毎日母宅に通うこともなくなり、週1回顔を出すようになり、それでも心配しすぎだということで10日に1回となり、母宅へ行く頻度が徐々に落ち始めていた
それは自分を試す作業でもあった
母に尽くさなくなった自分にできることは何か、考える機会となった

そんな時に出会ったのが 精神障がい者家族会「みんなねっと」だった
自分の人生を生きるとは何か、そのためにどうしたらいいか、ネットでいろいろ調べていてたどり着いた
そこに登録し、早速いくつか書き込みをした
そのなかで「自分の人生を生きるとは何か」ヒントをいただいた

「自分の人生を生きるということは、自分のしたい、と思うことをして生きていくことです
だけど「親のためにの自分」しか知らない貴方には難しいことなのも「当然のこと」です

いまは「自分自身というものが分からない」ということそのものを貴方自身と捉えていいと思います

そのことを批判せず、否定せず、あー私って自分がしたいことが分からない人なのか、と思ってみてください

そのうちに、自分のしたいことが分かってきたら、ようやく「自分を生きている」ということが分かってくると思います

「自分らしく」ではなく、今は「自分なりに」生きていけばそれでいいと思います

自分には自分のしたいことが分からないと思う、「そんな自分なりに」生きてみてください

楽しく前向きになれない「そんな自分なり」でいいのです

まずはご飯を食べましょう、そしてゆっくり寝てみましょう
そして自分のために働いたり掃除をしたり生活をすることに集中しましょう

一生懸命、自分のために生活してください
自分のために生活することのほうが大事です

前向きじゃなくても 生きているのは それ自体が前向きなことでもあるのです

命がある、だから生きていく、

貴方は生きている

頑張って生きてきました

後ろ向きにでも 生きていきましょう

引用:みんなねっと で実際に私が質問した際に来た返事

「自分の人生を生きる」
「自分らしくではなく自分なりに生きる」「自分の生活に集中する」
簡単なようでとても難しい課題となった

「あなたは生きている」「頑張って生きてきた」その言葉を励みに「自分を生きたい」と思った
今までしてきたこと<親の介護をする生活>を否定するでもなく、そこに捕らわれるのでもなく「自分を生きる」

同じ時期に私自身も体調を崩し、母のケアに携われなくなる旨を訪問看護へ連絡
「心配せず、ゆっくり休んでください」と声をかけられ、また肩の荷が下りていった
そこから「自分の生活に集中する」「自分のために食事を作る」を開始することが出来るようになっていった

「自分を生きる」ができ始める過程

いままで母の顔色を窺い生きてきた、母の体調を気にしながら生きてきた
それが、母から距離を取ることで一度は喪失感もあったものの、「自分の生活に集中する」を継続していくうちに「自分を生きる」がほんの少しできるようになっていった

「自分のしたいことは何か」「どうなりたいか」考えるようになり、
「自分は自分」であると思うようになっていった

自分軸とはなにか

よく「自分軸」という言葉を耳にするが、自分軸とは何か

  • 他人の意見に左右されず自分で考え行動する
  • 自分自身で選択をしているため、自分の行動に責任を取る
  • 自分は自分・他人は他人と考えられる

この自分軸で生きられるようになると、かなり人生が楽になってくるということも経験することになった
自分のいいと思ったことをする、もちろん他人の意見も参考にさせてもらうが、基本的には自分で自分の生き方を決定していく
誰かに言われて決めていたころは、良くない結果になると他人のせいにしがちであったし、自分が劣っているようにも感じていた

<自分のことは自分で決める、自分で決めたことには責任を持つ、他人のせいにはしない>
失敗を糧に次へ進む

誰かに言われてやったことではなく、自分で決めてチャレンジした結果の失敗であるから、その失敗から学ぼうという姿勢に自然となっていた


自分を許すことが出来るようになる

自分で決めてチャレンジをして失敗をすると、次はどうしたらいいかを考え失敗を活かす努力をするようになっていく
それ以前の私は、失敗を恐れチャレンジをしなかったり、失敗してしまうとたちまち自分を責めてしまったり、かなりネガティブな性格であった
それが自分軸で生きるようになってくると、自然と自分自身を許すこともできるようになっていき、
<自分を知る作業>をしていきたいと思うようになっていった
自分の長所と短所は何か、それを活かすにはどうしたらいいか、考えるようになっていた

そこにプラスして作用したのが「精神疾患の親を持つ子供の会 こどもぴあ」であった
こどもぴあの活動で、自分のことを話す機会が与えられ、より自分自身に向き合うようになっていた

また、ほかにも様々なコミュニティーに参加をしていた
そうしているうちに、<みんなちがってみんないい>という考え方に変わっていった
自分は自分で良いのだ、「普通の家庭で育っていない」とずっと感じてきたが、
そもそも「ふつう」ってなんだ?
いま、こうして生きているそのことに感謝をしていきたいそう思うようになっていった

感謝をする生活

いままで、何か良くないことが起きると他人のせいにしたり、卑屈になったり、閉じこもったりしていた
「どーせ自分が悪い」と自信を責める感情にもなり、とてもネガティブな性格であった
それが、徐々に自分自身を知る作業をしていくうちに、「こんな自分でもいいか」と思うようになっていった
そう思うのには数年かかったが、マインドが変化していったと今は思う
いつの間にか、何か良くないことが起きてもそれを次へ活かそうと思うようになっていった

嫌な過去に対しても、それがあるから今があると思うようになった
「自分の人生を生きてしまうと、それまでしてきた人生が全て否定されたように感じてしまう」と感じることもあるとは思うが、それもまた間違えではない
確かに自分の人生を生き始めると、今まで自分のしてきたことは何だったのかと感じてしまうし、それまでの自分を否定することにもなるかもしれないが、それまでの自分にも感謝して生きてみてはどうだろうか

私の場合は、傍から見たら壮絶な人生を生き抜いてきた人であるかもしれないが、実際の自分は「あっけらかん」としている

小さなことにも感謝をする
そうしているうちに、本当に周りに対して感謝ができるようになってきた

感謝をしているうちに、生きることが少し楽になってきた
考え方が柔軟になる、ギューッと締め付けられていた頭がポッと和らぐ 
1日ひとつ 良かった探しをおススメしたい

自分を生きるを取り戻す

コミュニティーとの出会い

「自分の人生を生きるとは何か」を考え始めて3年
様々なコミュニティーに出会い、様々な考え方を持った人に出会ってきた
仕事や私生活で出会う人とまた違う仲間となっていった
コミュニティー活動を探すツールとして「X(旧Twitter)」「Instagram」「こくちーず」「line オープンチャット」などを活用し自分の状況にあうキーワードを検索した

夫との出会い

そしてついに、2022年 自分を生きるを取り戻し始めた
それはたまたま出会うことになった夫の存在が大きかった
そして当時勤めていた会社の仲間の存在も大きかった

(また機会があれば夫との出会いについて書いていきたいと思う)
本当に「たまたま」の出来事であり、奇跡ってのはこういことをいうのだなと振り返り思う出来事であった

みんなネットに投稿した際に返事をくれた方にも感謝をしている
「自分らしく生きるのではなく自分なりに生きる」「自分の生活に集中する」
そのヒントをいただいて、難しいと感じはしたが実行することができ、生き方や考え方が変化していった

2019年 母の支援体制を整え、2021年介護支援専門員の資格を取得し 同じ年に「こどもぴあ」にであい
2022年夫に出会い、2023年地元を離れ夫と結婚、2024年第一子が誕生予定
本当に感謝である

まとめ

今の自分があるのは、自分だけの力ではない
周りの人たちの支えのおかげである
そしてそれまでの人生が決して悪かったということでもない

私は思う
「自分にとって嫌だなって思う出来事も、後にいい経験であったと思わされる」
今は嫌なことが続いているかもしれないけど、
生きていればきっと、いい経験だったと感じることが出来るようになるのではないだろうか

それには、いま起きていることを否定したり悲観したりするのではなく、どうしたらいいかを考えることが大切
前を向くのは大変だけど、後ろを向いてても何も始まらない、どんどんドツボに落ちていく

苦しいときを生きていた時は、きれいごとを言うな!と思っていたが、
実際に通り過ぎてみて振り返ると、確かに思う
「生きていればなんとかなる」と
とても嫌いな言葉であったにもかかわらず、今では「生きていればなんとかなる」と思うから不思議なものだ

乗り越えた先に見えてきたもの
自分自身を知り、自分自身を受け入れる作業

これから先、また苦難に出会うこともあるかもしれないが
それでも「きっとなんとかなる」
そう思いながら、他人の目を気にするのではなく、自分がどうしたいかを考えながら生きていきたい
もちろん、家族を大切にし、家族の意見を尊重し、家族と一緒にどうしていきたいかを話し合いながら決めていきたい
けれども、過度に家族のためと気張らずに
矛盾しているかもしれないけれども、そう思う
まだ30後半、これからますます、成長していけるように努力していけたらと思う
どうぞ、見守ってくだされば幸いです




 

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