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LOLIPOP
母のこと自分自身

母親①

私は母子家庭で育ち、約一年ネグレクト状態、幼少期から虐待家庭であった。
母は、病気だったと大人になってから知った。
発症は私が生まれるころ、もしくはそれより前だったのだろうか
母の家庭環境も大変酷なものであったが、母の兄弟姉妹は特に精神に異常をきたすことなく大人になっているので、すべてが家庭環境のせいであったとは言えないだろう

母の病気は、私が初めて聞いたときは「統合失調感情障害」であった。
幻聴幻視はなかったようだが、感情の起伏が激しかった。
私が子供の頃は、何が原因で怒られているのかわからないが、ひょんなことで感情的になる親にビクビクしていた。自室からトイレに行くとき必ず茶の間を通らねばならず、母の顔は般若のように私を睨みつけ怖かった。何もしてなくても、怒鳴られたりした。

私は社会人となり実家を出た。生活保護家庭だったので家からでなければいけなかったので一人暮らしを始めたが、母の家から歩いて10分ほどのところに家を借りていた。
最初の頃は、母が私の家によく来ていた。来ては、掃除がされてないだの、食事がどうだので、注意を受けていた。
そのうちに、母の体調が悪くなっていき、よく寝込むようになっていた。
私が子供の頃から寝ていることが多かった母なので特に気にも留めていなかったが、その当時の母は息苦しそうで いつもと様子が少し違ったので心配した。

私が20歳くらいのとき、昼夜問わず母から電話が来るようになった。
「眠れない」「息苦しい」などの訴えがあり、薬局で酸素スプレーを購入したこともあった
具体的にはもう、いろいろありすぎて覚えてないけど、何か妄想に取りつかれていたこともあった
「隣の人に悪口を言われている」「クリーニング屋の店員に悪口を言われている」「家の音が外に漏れている」などなどで、カーテンを閉め切って音を出さないようにずっと寝ていた時もあった

当時の私は職を転々としていた。社会に馴染めない人間となっていた。うつ病にもなった
毎日死にたいなーと思い、面倒な毎日をただ過ごしていた。アルコールにもはまっていた
母から呼び出しがあり、週に何度も母のところに行っていた。母のよくわからない話を聞いていた
社会に馴染めず、正社員を諦めてフリーターになった。バイトを二つ掛け持ちした。夕方出勤して夜11時に仕事終わり、次の仕事が深夜0時から朝6時まで、生活費がギリギリだったから、シフトはギューギューに入れていた。自宅に帰り少し寝て母のところに行き、よくわからない話を聞き、また仕事に行くような毎日。自宅にいるときはお酒を飲んですべてを忘れようとしていた。
そんな毎日を送っていたが、リーマンショックとか、派遣切りとかのニュースを見て危機感を覚え、正社員への道を模索した。
母のことが心配だったということもあり、介護の道へ進んだ



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