母のこと自分自身

母親②

2013年
私は介護員として働き始めていた。相変わらず母の家と自宅を往復している毎日
母が突然キレた。いや いつものことであるのだけど、いつもと少し様子が違った
「どーせ私が悪いんだろ!!!!!」と怒鳴り、近くのあるものを手あたり次第投げ飛ばす母
いや、ちょっと度が過ぎている。「死んでやる!」と叫ぶ母。いつもだけど、いつもと何かが違う
少ししたら落ち着くのだろうか、なだめながら、殴られないようにも工夫しながら接していた
何かがいつもと違う・・・・
介護員をしていた私、<母の支援経過記録>をつけ始めた。
それから、母のかかりつけの精神科へ連絡し担当支援者と話をした。
病院に連れてきてくださいとのこと。母を説得し一緒に病院へ行くこととなった
母の前では言えないことを手紙にして支援者に渡すことにした
うまいこと支援者と二人で話すこともできた。その時言われたのは「グループホームなども検討したほうがいい」「入院できる精神科へ転院したほうがいい」「あなたも子供頃から包丁でさされそうになったこともあるでしょ、自分の身の安全をまずまもるように」とのことだった
ここでは、母を見るのは限界だということだった

数日後、入院設備のある精神科へ連絡。母の様子を伝えたが、「本人を連れてきてください」で終わってしまった。死んでやるとか叫んでいたり、現に(ここではかけないような)自死の方法を試していたり、早めに対処しなければならない状況だったが、何かあってすぐ入院というわけにもいかなそうだった。まず本人を病院に何とか連れて行かなければならなかった。
それから、またかかりつけの精神科へ連絡し、相談。転院させたいことを伝え紹介状を書いてもらうことになった。もう試行錯誤で<母をだます形>をとるしかなかった。通っていた病院は元は大人も通う精神科だったが 数年前から子供専門の心療内科へ変わっていったのでそれを口実にしてもらうことになった。先生から「ここに今まで来ていた大人は別の病院へ移ってもらうことになった」と説明してもらい、さらには「あなたの担当医もやめることになった」と説明し、なんとか転院をさせることになった
ただ、そのあとがまた大変で、本人はナンダカンダ暴れていた
入院設備のある精神科の予約を取り付け一緒にいったが、あっさりウソがばれた。そこの担当医師が全てをばらしてしまった。なんということをしてくれたんだと私は思った。やっとの思いで母を”ここ”に連れてきたのに、台無しにされ悲しくなった。そして母は病院で暴れた
いいだけ暴れたが、とりあえず薬を処方してもらい母を連れて帰った。しばらくは本当に大変だった
ただ結局は、母もよくわかんないけど折れて、転院した病院に通ってくれるようになった



☘応援励みになります↓↓
にほんブログ村 家族ブログへ にほんブログ村 子育てブログ 高齢ママ育児へ


☘コメント励みになります☘コメントボタンからどうぞ↓↓

koyagiをフォローする

コメント

タイトルとURLをコピーしました