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自分自身

ヤングケアラーについて思うこと

ヤングケアラーの定義として、
「家族にケアを要する人がいる場合に、大人が担うようなケア責任を引き受け、家事や家族の世話、介護、感情面のサポートなどを行っている、18歳未満の子どものこと」
とある。
障害のある親の代わりに、買い物や家事を担うこと、家族の代わりに兄弟の世話をすること、障害のある兄弟の世話をすること、目の離せない家族を見守り声掛けや介護を行うこと、家計を支えるために労働をして障害のある家族を支えること、アルコール依存・薬物・ギャンブルなど問題を抱える家族に対応していること、などいずれも18歳未満で大人が担うような責任を引き受け、家族の介護・感情面のサポートを行っている子供のことをヤングケアラーという
その中には、精神疾患など慢性的な病気を抱えている家族を看病していることも含まれる

 私の場合は、親が精神疾患であった
ヤングケアラーという言葉が出始めたのは2020年頃だったと思う
当時、ヤングケアラーという言葉が出始めた時、大人に対する怒りのようなものを覚えた記憶もある
それはなぜか・・・・
自分が子供の頃、助けてくれる大人はいなかったと思っていたからだ
それは本当なのか・・・・
自分がそう感じただけなのかもしれない、
自分が子供だった時にヤングケアラーという言葉があったとしたならば、誰か助けてくれたのだろうかそんなことを感じていた、ヤングケアラーという言葉が出始めた時はとても複雑な気持ちになった
今まで自分が担ってきたことが、肯定された気持ちもありながら、ヤングケアラーという言葉で収められてしまうことに、なんとなく憤りを感じていた

そもそも、自分はヤングケアラーだったのか
「精神疾患を持つ親を看病している子供」「親の情緒面のケア」「親の話をひたすら聞く人」
確かに子供の頃から掃除や洗濯などをしていたが、親のケアについては18歳を過ぎたころからのほうが情緒面のケアが必要になっており、寄り添っていたので、「ヤング」の部類には入らないのかもしれないとも感じてはいた
そして、ヤングケアラーだっとして、それでは誰に助けを求めたらいいのか、
ニュースをみていても、あまりパッとしない印象だった
子供は自分の家庭しかわからない部分がある
なんとなく、ほかの家庭とは違うかもしれないと感じていたとしても、それを口にすることができるのか。口にするとして、どの大人に話すのか。自分が話すことによって、家族がバラバラになるのではないか。また、精神疾患を抱える親の話を誰かにすることへの抵抗、親を悪くいってしまうのではないか、または家族以外には知られてはいけないことではないか、そんなふうに思っていたのかもしれない
いや、そもそも、親の身に何が起こっているのか理解ができない場合もある。
私の場合は、子供の頃は「親が精神疾患である」ということは認識していなかったようにも思う
大人になってから、図書館で手に取った本。精神疾患に関するもの、それを読み、親の病気を知り、また同時に自分に何が起きていたのかを知った。
子供時代に「私はヤングケアラーである」という認識を持つことが難しい状態であった
そういう意味では、昔と違い、ヤングケアラーという言葉が出てきたことはとてもいいことなのだろう
いま、そのような状態にある子供たちが「ヤングケアラーかもしれない」と感じ、大人に相談する
相談された大人は、子供の話をまず聞いてほしいと思う。否定せず、茶々を入れず、ゆっくり子供の話に耳を傾けてほしい。子供が何を望んでいるのか、親に対してどういう気持ちなのか、これからどうしていきたいのか、そんなことを話せる大人がいてくれたと思う
複雑な気持ちをはじめから言語化できないかもしれない。時間をかけて子供の話を聴いてほしい。
また、子供だけではなく、その家庭をどう支えていくか、それが重要であるように思う
何かのニュースで、子供に家を離れるかどうかの決断を迫る様子を見たことがあるが、あれは非常に酷であるように感じた。子供に重大な決断ができるのか。
私の場合も20歳くらいの時に、一度大人に親のことを相談したことがあったが、その大人からは、「親を捨ててもいいんだよ」と言われたことがあった。そういうつもりで話をしたわけではなかったし、親を悪く言われているようにも感じた。また、親を捨てていいと言うが本当に捨てたとして、だれが親の面倒を見てくれますか?あなたが見てくれるのですか?何もできないのにそんな簡単に言わないでほしい、と怒りを感じた。そして大人に話をしても無駄であると感じた。
今思い返すと、親のことを相談したが、自分のことを知ってほしいという気持ちがあったのだと思う。
「親を捨てていい」と言われ、自分のことをわかってくれない。そんなつもりで言ったわけじゃない。
おそらく当時、自分のことを認め、「よくやってるね」そう声をかけてほしかったのかもしれない。
そして、親のことは本当に困っていたので、親子としてどうすることがいいのか、親への接し方なども一緒に考えてほしかったのだろう。

ただ、今思うと、その大人の言ったことも正しく、「自分の人生を生きていい」という言葉も正しい
また、それも言語化することが難しいのだけれども、今はそう感じている
そう思うまでに本当に長い時間がかかった。

私は親に縛られていたように感じていたが、それはまた自分で自分を縛っていたということでもある
そのことに気づいたとき、ようやく解放された気持ちになった
そういうことを、これから少しずつ、言語化していけたらと思う



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